ホーム > 小谷の250字 > 2015年12月(18)


<< 量子回路の未来 >>


2015/12/1(Tue)

 乾電池に豆電球とスイッチを繋いだら立派な電気回路になる。同調コイルにコンデンサ、ダイオードとレシーバーを組み合わたら最も原始的な電子回路、つまりラジオになる。その延長線上にテレビがありビデオがあり、コンピュータがありスマホがある。
 今や機械の蓋を開けても細かい部品が箱庭の都市のようにびっしり並んでいるだけで、何が何だかわからない。電子の世界でこれなのだから、遠い将来、人類が電子を超えて量子を操るようになったらその回路はどんな姿をしているのだろう。
 想像もつかないからこそ未来と呼ぶのだ。
小谷隆


<< 老いることのないアレ >>


2015/12/2(Wed)

 僕らの意識は三十路に至っても不惑を過ぎても実はそれほど大きく変わらなかった気がする。医学的には身体よりも先に脳が歳をとるらしいけれど、確かにあちこちガタついてはきたものの、今でも子供じみたことを平気でやれるし、口走りもする。
 精神年齢に確かな節目などなくて、年齢相応に経験値も増えて偉そうな講釈をたれる一方で、実は子供の頃からまったく成長していない部分をみんなどこかに隠し持っている。
 自分の中からそんな部分が浮き上がってくるとやっぱり恥ずかしい。しかし、なぜか嬉しくもあるのだ。
小谷隆


<< 書き手の持つべき慈愛とは >>


2015/12/3(Thu)

 およそ僕はストーリーテラーとしては優しすぎたのだとつくづく思う。小説であれ歌詞であれシナリオであれ、僕は誰一人として登場人物に本当の地獄を味わわせることができなかった。絶望の淵に叩き落としたようでも、彼らにどこか逃げ道を用意していたような気がする。
 つまり僕は慈愛に満ちた全知全能の神を登場人物たちに与えていた。だから彼らはいつもそれに縋り、人間としての真価を発揮できなかったのだと思う。
 今になってようやく気づいた。書き手は別の意味の慈愛を秘めて登場人物たちを突き放さなければならないのだと。
小谷隆


 [前の3日表示]   [小谷の250字]   [次の3日表示] 



- 01 -